2007年8月24日(金)
50歳過ぎの一人の男がサーフボードを持って新幹線に乗っています。想像してください。何か変な光景でしょ!それは私です。サーファーの格好しているから 50過ぎには見えないし?サーフボードを持っていてもおかしくないだけで 普通の50歳を過ぎた男の人がサーフボードを持って新幹線はちょっと違いますよね?!
第42回全日本サーフィン選手権 ロイヤルクラスに出場するため 私は大阪から新幹線に乗って東京まで東京の竹芝桟橋から会場である新島への 船旅は約8時間、いい席が予約できなかったためロビーでざこ寝!新島に着いたら先発組のシニアクラス出場のオフザウォールライダー芝野、大阪ではウィメンクラスNo1のさっちゃん(田村幸子)、そしてロングボードウィメンクラス大阪支部予選1位で通過、全日本初出場のユウちゃん(石川裕子)とオフザウォール歴25年で同じく全日本初出場 ロングボードメンクラスの阪本修平たち4人が新島港に迎えに来てくれていてそのまま大会会場の羽伏浦へ、車内でのわずかな時間にいろいろ話をしてくれた。会場は羽伏からシークレットに移動した事とか、残念ながら全員予選で敗退した事や波の事、羽伏のショアーブレイクはすごかったとか、9フィートのボードでは大会に出られないとか、 どこどこの誰誰さんはすごいとか、大阪のボーイズ、キッズは頑張っていたとか、キッズクラスでは伊勢の仲村タクミ君はすごかったとか、初出場の人たちは色々勉強になったそうです。彼らは新島に来てかれこれ一週間近くが経っています。ユウちゃんだけがもう一泊して あとの3人は私と入れ違いで下田まで船に乗り下田に置いたハイエースで帰阪、全日本入賞経験のある芝野でさえも一回戦で敗退するほどの全日本サーフィン選手権、実力だけでは勝てない事をあらためて実感した様子!
シークレットではコンテストが3ポイントに分かれて開催中、駐車場に一番近いポイントのクラスはいいのですが一番遠くのポイントとは距離があるので大変!波は少したるめの腰から胸、水は新島ブルーで透き通っていて、売店もなければ自販機もない。まさに大自然の中でのコンテスト、試合がなければこんなところでサーフィンすることがないだろうと思うような場所、3日前までは羽伏から30分かけて歩いて毎日 砂の上を移動していたそうでショートボードの人はいいにしてもロングボードの人たちはもっと大変、それよりもっと大変だったのは当然、大会を運営している役員やジャッジの方々とだったと思います。そしてもっとすごいのは新島の役場の人たちです。運営もさることながら一晩かけてシークレットまでの車が通れるように道を作った人たちです。本当に感謝の限りですね!これだけ行政が協力的なサーフポイントは日本広しと言えでも思い浮かびません。
8月25日(土)ボーイズやキッズ、レディースなどのクラスは金曜日で決勝まで終わっていて残りのクラスはシニア、マスター、グランドマスター、ロングボードメン、マスター、ロングボードウイメン、支部長 そして私たちのロイヤルクラス試合は3ポイントでどんどん進んでいき夕方になると潮が満ちすぎて割れづらいので残りのヒートは最終日の朝 5時からのスタートとなりました。
大阪支部のテントの中には試合に敗れた選手や応援、また、大阪の支部長代理として浅井さんが早朝から大阪の選手の面倒をよく見てくれていました。そして彼らの宿舎は経費節約のためにテント村での自炊をしていました。本当にご苦労さまです。大阪の支部予選ではショップ単位で集合し出場選手を応援します。全日本へ行くと大阪代表が一つになって応援します。そして世界へ行くと日本の選手が全員で日本の選手を応援するのはごく自然になる事でしょうね!
そして私はと言うと以前からの知合いで民宿「富八」を営まれている富田さんのところでお世話になる事になり、夜は皆で楽しいバーベキュー そこには元RUSTYサーフボードライダーで福島県代表 鈴木“SHIGE”が滞在残念ながら試合は負けたそうですがいつものようにさわやかな好青年です。そして私は明日に備えて早めに寝ることに、、、、
8月26日(日)早朝から昨日の予選の残りがスタート波は今日も引き続き腰から胸くらいのロングライディング可能なファンウェーブ!今までに何回かこの新島でサーフィンしましたがほとんどが羽伏浦のスーパーホローチューブでいつも手こずっていました。大き過ぎるとアウトに出るのが大変でその前には恐怖のショアーブレイク!テイクオフからパーリングの連発乗れても早すぎて何をしているのかわからないと言う印象、しかしここシークレットはロングライディングが可能な少しマッシーな波、テイクオフも簡単でたまに掘れるセクションもある私にはいい波のように思いますが富田さんの次男で支部長クラス優勝した富田圭介君たちはやっぱり掘れた羽伏浦が好きだそうです。
そしていよいよ決勝を残しワンポイントになり選手、役員が一体となり盛り上がり始めました。それまでは3ポイントなので放送や解説選手紹介も少なく 淡々と試合は運ばれていましたが決勝はやはり 否が応でも盛り上がります。選手紹介から始まりグランドマスター決勝がスタート実は私も年齢から言うとグランドマスタークラスで先日、四国で行われた支部予選ではすでに私は敗退しています。グランドマスタークラスといえば以前はなくて、つい最近できたクラスなので(と言っても10年以上前)イメージは年寄りクラス(失礼)と思われていましたが今ではどのクラスに入っても引けを取らない実力者ばかりです。技の切れやライディング自体も若いクラスに負けていません。サーフィンを長くやられてきた強者ばかりなのですから負けられません!!
そしていよいよ私のロイヤルクラス 参加者4名 決勝4名 勝てば優勝なのです。20分間ベスト2ウェーブ勝つ方法は完璧に分かっています。日本サーフィン連盟 A級ジャッジで日本プロサーフィン連盟のプロのジャッジとしてツアーも回ったし、最終的にはASPWCTの国内ツアーのジャッジから果てはオーストラリアまで行ってWCTのジャッジもしたのでどのようにすれば試合に勝つかはわかりすぎるほど分かっています。問題はそれを20分間に海の中で冷静にできるかどうかなんです!!
しかも私のクラスはロングボードもショートボードも混ざっている混合クラス、ロングボードにはいくらパドルが早いとはいえいい波は全部取られます。セットが入ってもまずロングの選手に波を譲り、後ろの波にかけなくてはなりません。前半は思うように波に恵まれずいい波は全部取られてしまいました。中半から作戦変更 インサイドで小さい波の早くてほれる波にチャージすることに この作戦が見事成功ベスト1ウェーブはキープ、後半に 最高のセットが入ってきました。手をあげてジャッジに私の波をアプローチ、 しかしそんな事、関係なく他の選手は乗っていきます。その後ろにもう一本 小さめのセット アウトには誰もいなくて私一人見事、波をとらえ、テイクオフから深め(自分ではそう思っていましたが実際はしょぼい)のボトムターン 鋭いオフザリップ(これも同じくしょぼしょぼ)してインサイドまでメイク!!これで優勝?!わかりませんでした。他の選手のライディングがわからないし、ましてロングボードですので何点ついているかもわからないのです。ショートボード同士ならだいたいわかるのですが結果は表彰式までわかりません。
そしていよいよ表彰式 ロイヤルクラス決勝私と岡野さんが理事長に手を持たれ優勝は“三口、、、”のアナウンスに自分から手を挙げていました。ロイヤルクラス優勝は大阪からは初!今までは湘南、千葉または地元のレジェントサーファーが優勝するのが常でした。しかもショートボードで、、、
ロイヤルクラスに参加できるのは過去に支部長や全日本のジャッジ理事や顧問などを経験し日本サーフィン連盟に対して功労している人、した人が招待されるクラスで全国で招待されるのは数十名程度だと思います。それと地元のサーフィン発展のために功績を残された方がこのクラスに招待されます。ロイヤルクラスは余興クラスと言われていますが誰だって負けるために何日も仕事休んで交通費払って大会に出ませんよね!選手はどのクラスでも真剣です!もちろん私たちのクラスも勝つために真剣に戦っています。私が初めて全日本に出場したのはメンクラスの時で茨城県の大洗海岸でした、予選は通過したのですが2回戦で軽く敗退!優勝は何年ぶりでしょ!大きな大会で以前関西サーフィン選手権シニアクラスで優勝して以来です。今ではシニアクラスといえば全日本で一番選手の多いクラスです。
大阪は海のないところ ホームポイントもなく どこの海行っても ローカルの人たちに怒られたり地元の人に叱られたりとサーフィンするのに苦労も多く費用もかかる。また、本当にサーフィンがたまらなく好きになり海外や他の県に移住する人もいます。しかし、どうしても大阪にとどまらないといけない事情の人が大半です。
大阪のサーファーの環境は私たちの先輩が色々築いてくれた事を受継ぎ、次代の大阪のサーファーたちが少しでもサーフィンし易い環境が残せていけるようにしてあげるのが私たち大阪で住んでサーフィンに通うサーファーの使命だと思っています。 海に感謝サーフィンに感謝です。
第42回 全日本サーフィン選手権ロイヤルクラス優勝
大阪代表 三口 省賢
追伸インタビュー受けたのでSKY Aと言うCATVにも出ると思います。何しゃべったか忘れたけど!!
余談ですが 以前ジャッジを一生懸命やっていたころの話ですが初めてのオーストラリアはASPの現在のWCTのコンテストでツアージャッジとして行きました。それまでジャッジとして一番うれしかったのは大会を無事終え役員、ジャッジたちと握手した時に感じる満足感でした。ジャッジはどのスポーツ世界でも華やかな舞台ではありません。いい事も決して多くありません。選手が負ければジャッジのせいにしたり(実際人間ですのでミスジャッジもあります)勝ってもなかなかジャッジのお陰です、と言ってくれる選手はいません。ゴールドコーストのバーレーヘッズで行われた決勝はトム・カレンとマイク・ランブリージという組合せでした。ヒート中トムが見せたライディングは一本の波に二度のチューブイン・リップありカットバックありのスーパーライディング、それまで5点から8点台で勝敗が決まっていましたがこのライディングは10点満点以外に考えられませんでした。長いジャッジ人生で初めてつけた10点、今でこそ10点満点はバンバン出ますけど当時10点を付けていたジャッジは見たことがありません。不安と他の外国人ジャッジの点数など気になる事だらけ、そんな不安はアナウンスで一発解消なんとジャッジ5人全員が10点満点だった。この時の感動と試合後のパーティーそして初めて外国人からもらう一日100ドルの報酬は今でもいい思い出です。
全日本サーフィン選手権の歴代の入賞者
1983年 | 18回大会 | ボーイズクラス | 第4位 | 荷川取 操 | 茨城県 |
1986年 | 21回大会 | ジュニアクラス | 第5位 | 藤原 栄二 | 福島県 |
1992年 | 27回大会 | シニアクラス | 優勝 | 瀬尾 和成 | 静岡県 |
1993年 | 28回大会 | レディースクラス | 優勝 | 外園 ちあき | 千葉県 |
2003年 | 38回大会 | シニアクラス | 第3位 | 芝野 雅之 | 島根県 |
2006年 | 41回大会 | ロイヤルクラス | 第4位 | 三口 省賢 | 宮崎県 |
2007年 | 42回大会 | ロイヤルクラス | 優勝 | 三口 省賢 | 東京都 |